放課後みたいな

急に寒くなりよった。
大好きな秋は、ほとんど無いも同然らしい。
夕方自転車をこいでいたら、秋特有の癖になる物悲しさみたいなのが襲ってきて、秋の匂いがたちこめていて、胸がいっぱいになった。
なんだろう、あの感じ。決して嫌いじゃない、でも少し苦しいあの感じ。
秋は一瞬だから良いんだろうなぁ。

無心

お米を研いでいるとき、野菜を切ったり炒めたりなんだりしているとき。すーっと無心になれる。
その瞬間は、なんていうか、悪くないかんじ。


このままでいいのか、いやよくない、だけどどこへも行けやしない、そんなことはない。
頭ん中ぐるぐる回ってます。
誰も自分を知らないところへ行ってとことん打ちのめされないと、いつまでも生ぬるいままの自分なのじゃないか、そんなままで生きてって後悔するのは嫌だな、なんて。
時々ふっと未来の自分を想像して怖くなる。
だけどそういう全ても、他人の言葉に振り回されてるだけのような気もして。流されやすい人間だから。


「ほんとは芽衣子がいてみんながいて、それだけでしあわせなんだ」
ソラニンの種田がよぎる。あぁ馬鹿みたい。


うだうだいじいじ、いやだいやだ。
せめて笑っていきましょう。

やさしさって

疲れ・体力不足のせいで、この一週間ろくなもんじゃなかった。
けど、今日でなんか報われた。
やさしさは残酷なのか?って、昨日のZEROでのyuiのインタビュー観てからずっと考えてる。
悲しみは一人でも抱えられるけど、やさしさは必ず相手がいて与えたり与えられたりするものだから・・・かぁ。
残酷なやさしさ、というのは確かに存在すると思うけど、でもやっぱり、やさしくされると泣けちゃうものです。

そんなことふーと思いながらバタバタな朝を終えた。
生きることと死んでゆくこと、対岸で手を振った人。
私が今ここにある意味も、少しはあるかもしれない。

サッカーはじまる!

決して変えられない過去をぜーんぶなかったことにして、まっさら白紙の状態からはじめるのって不可能なのかなあ。

わたしがそうしたくて、相手もそうしたいなら

できる気がすんだけどなあ。

もう誰のことも傷つけたくない。
今ある友達、家族、みんなみんな大事にしたい。みんなみんな仲良しでいたい。
それって欲張り?

人とつながっていたいって、思うようになったのはやっぱり大人になったから。だって今は私は大きな声で言える。寂しい、会いたいと。
昔はそんなこと思いもしなかったよ。

そうなれたことだけでも、良かったって気がする。

ああ、とめどないです。

最近毎日親しい人に会えて嬉しいな。明日も友達に会える。

楽しい。ありがたい、みんながいてくれて、私はどうにか成り立っています。

ひゃー

暮らしの哲学―やったら楽しい101題 (ヴィレッジブックス)

暮らしの哲学―やったら楽しい101題 (ヴィレッジブックス)

このなかのひとつを実際にやってみた。
”熱帯に降る雨をイメージして、目をつぶってシャワーをあびる
・・・めっさ気持ちいい!!
んでそのあと龍馬伝観て泣いた。
どうやらちょっとデトックスできたっぽい。
凝り固まって偏狭になった頭を柔らかくすること、これ大事みたいです。